戦死の世紀【PDF】
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発行日 : 1998.03.29(初版) / 2003.10.12(再版) / 2006.10.08(第三版) データ版 : 標準プリントアウト時 A6(文庫サイズ)/ 60ページ / 2.4MB ●TV本編を土台とし、戦闘能力や環境を少しアレンジして自分好みに仕上げたシリーズの第1作。征士と当麻の出会い編です。 ●登場人物は征士、当麻、伸。 ●カップリング未満。
〔本文見本〕
ずっと思っていた。なんと孤独な戦いなのだろうと。 見えない敵。けれど存在する相手。 いる筈の味方。しかし現れない仲間。 「こんな筈じゃなかった…」 僅かに唇だけ動かして、声もなく彼はそう呟く。左腕の指先から赤い血が一滴したたり落ちたが、コンクリートの床へたどり着いたそれは、溜まった雨に溶かされてあっという間に色彩を失っていく。 苦々しげにその様子を眺め、彼は左手を握りこんだ。手の中に液体の流れ込むぬるりとした感触が、変に彼の苛立ちを煽る。小さく舌打ちをして、それから願うように目を閉じて、彼は傷を受けた左腕へと気を集中させた。 「これじゃ───」 傷口だけ塞いで溜め息をつく。青い鎧の、左の肩から肘までを覆うように作られた部分が、ぱっくりと割れている。こんなになるなんてと薄く目を開けてそれを見てから、一度はっきりと瞬きをして彼は横へと飛びすさった。寸前まで彼のいた場所に、黒っぽい矢が飛んで来て壁にあたると同時に霧散した。 今度は弓兵か。 一体どこから狙ってきているのか、敵の姿は辺りが煙るほどの雨に阻まれて少しも見えはしない。こちらはほんの少し、血を止めるための力を使っただけで居所がばれてしまうというのに。 「殺してくれと言っているようなものか」 傷を癒しながら自分の場所を教えてしまうことに、彼は皮肉な笑みを浮かべた。 新宿の高層ビル群。平日の生ぬるい午後。 人々はけだるくまたは意気揚々と、それぞれの日常の中にいる。 外は激しい雨。風を伴わず、ただザアザアと音をたて、大粒の雨が次々と天から落ちてくる。高い湿度と下がらない温度。そう、都市全体が生暖かい空気に包まれて、現実から遠く隔たれているような錯覚を見る者、入り込む者に感じさせるのだ。そしてその中で、一人、痛みという現実を抱え焦燥という事実を胸に、彼は戦っているのだった。 敵を、妖邪、という。 人ではない、邪悪な存在。人間の世界を奪おうとする、あってはならない存在。そう考えてきた。詳しいことは何も知らない。僅かな情報と曖昧な記憶、殺さなければ殺されるという強迫観念。それが自分の中の全てだ。彼は、そう思う。 再び降ってくる敵からの攻撃をかわしつつ、彼もまた、鎧の背中へとつける形でしまっていた武器を取り出す。カチ、と小さな音を立てて広がり、それは弓となった。翔破弓と言うのだそうだ。 「まったく…」 武器の名前などどうでもいいのにと、呆れながら矢をつがえる。矢筒の中身が尽きることはなく、弦が切れることもない。表面だけ塞いだ傷口が開かないことだけを願う。腕の痛み? そんなものは無視すればいい。 言い聞かせて矢を放つ。妖邪兵が一人、霧となって消える。 問題は、自分が一人だということだ。 どう考えても多勢に無勢。これでいったい、どう戦えというのか。 そして、自分に与えられた力の小ささ。数の上での圧倒的不利を逆転させるほどの力が自分にあるとは、到底思えない。 仲間が欲しい。力が欲しい。 そう思った時だった。 天を切り裂く光。カッとばかりに閃き、次の瞬間には音もなく巨大な妖邪門が消え失せた。同時に天空の中に満ちてくる、狂暴なエネルギー。 「…空……」 何が起きているのか理解する間もなく、体が勝手に動き出す。いや、鎧が、と言うべきか。 「破───」 低い声とともに放たれた矢は、雨の向こうに霞む古ぼけた赤黒い門を目指しながら、そこまでの間に居合わせた敵兵をも巻き込んで飛んで行く。避けることも止めることもできずに、見る間に撤退を始める妖邪兵。そして、彼らの本来の世界へと通じる筈の門を、天空の矢が消し去る。 「うえっ…」 けれど、その様子を天空は見ていられなかった。堪えきれずに膝をつき、彼は苦しげに荒い息を吐く。手が震える。足がすくむ。激しい目眩と吐き気。頭痛と疲労感。だが、それら全てにも増して彼を打ちのめしたのは、得体の知れない憎悪の感覚だった。 何がどうなっているのか。胃の中をかき回されているかのような異物感が、体じゅう、頭にも心にも、のしかかってくる。 「なんで……」 それらを感じながら、弱音を吐きそうになったらおかしいだろうか? 全て放り出したいと思ったら軟弱だろうか? さっさと帰って眠りたい。何もかも忘れて平和な日常に紛れてしまいたい。みんなやってることじゃないか。俺が混ざって何故悪い? そう思うのに、そうしたいのに、けれど、だが、しかし─── こんな簡単に屈してたまるか。 天空はキッと顔を上げ、呼吸を鎮めながら雨を透かして新宿駅方面へと目を向ける。彼の張った薄い結界を、誰かが越えようとしている。決して乱暴にではないけれど、そこに結界があることを意識したうえで、ゆっくりとそれを解いていく。 きっと向こうも天空の存在に気づいている。その証拠に、徐々にだが確実に近づいてくる。道を越え、ビルを渡るその姿が、やがて天空の視界にも入ってきた。敵ではない筈と唱え続ける頭とは裏腹に、自然と武器へ手が伸びる。相手の力がわからないから、自分の動きが信じられないから、そして今死ぬわけにはいかないから。 だが、それは彼の杞憂に終わった。 「光輪───」 (誰だ、それ?) 双子のビルのそれぞれの屋上に、天空が光輪を見上げる形になって二人は立つ。立ち止まった相手と目を合わせた瞬間に口をついて出た名前は、天空には覚えのないものだ。ほらまた何だかわからない、と苛立つと共に、仲間の存在にほっとしている彼がいる。 そうだ、光輪は仲間だ。 改めて自分に言い聞かせながら、ひと蹴りで越えられるほどの場所にいる相手を見続ける。光輪の鎧は明るい緑色。手には長い一本の剣。彼は剣士かと思う一方で、色のはっきりとしない瞳の冷たさに怯む。それを救ったのは、不思議と激しい雨にかき消されることなく届いた、彼の低い声だった。一言、 「天空」 と。